真玉橋

現在の車社会の騒々しい風景からは想像がつきにくいですが、かつて沖縄はのんびりとした時間が流れる静かな島々の国でした。海や川を隔ててそれぞれの村と村をつなぐ橋は、向こう側にいる誰かを待つ人々のせつない思いを詠んだり、逢瀬の場所となったりと重要な所だったのです。
特に、那覇の泊高橋、豊見城の真玉橋、嘉手納の比謝橋はかつてその周辺の景色の美しさもあいまって、沖縄三大名橋とも呼ばれていたそうです。
その中のひとつ、豊見城の真玉橋をクローズアップしてみたいと思います。

● 真玉橋(まだんばし)

那覇市と豊見城市の間を通る国場川にかかってる橋で、その歴史は実に約1500年。
現在でも通勤・通学などで、多くの人や車が那覇と豊見城を行き来しています。
その始まりは1522年に首里城や那覇港、那覇を防御する目的に架けられました。
架橋当初は木造でしたが、琉球王朝時代、首都・首里と島尻地方を結ぶ交通の要所となっていました。長い歴史の中で大雨や洪水の被害に遭いながらも、重要路ということで幾度も改修工事を重ねて使われてきました。1707年尚貞王の時代に石造に造り替えられ、戦前には大きな曲線の5つのアーチが並ぶ構造で、当時としては画期的かつ景観的にも美しい石造の橋だったそうですが、1945年の沖縄戦で破壊されてしまいました。

戦後、改修工事に伴い発掘調査をしたところ、戦前の真玉橋が一部残されていました。
貴重な歴史的文化材を後世に残そうと、住民の保存運動が展開され、現在保存状態の良いアーチ部分は道路下に移築保存されています。
1500年の歴史ある真玉橋にはさまざまな伝説が残されています。いくつかある中からひとつご紹介しましょう。

「七色の元結を身につけた女性の話」
真玉橋が増水で何度も壊れることに人々は悩まされていた。ある日、神のお告げをするユタが「橋の下に女性を人柱として生き埋めにせよ。七色の元結を身につけた女だ。そうすれば増水は起きなくなるだろう」と予言します。人々はお告げ通り、七色の元結をつけた女性を探し出します。ある村で夫婦と娘の3人暮らしをしていた家族のうちの母親が、七色の元結を身につけていたのです。母親はすぐに生贄として橋へ連れていかれました。生き埋めにされる直前、母親は娘にこう言いました。「あなたはこれから、他人より決して先に話を始めてはいけません。」そう言い残し、母親は人柱として生き埋めにされました。
それから娘は母親との約束を守り通しました。真玉橋で再び増水が起きることはなかったそうです。

沖縄旅行に行く前にこの伝説を聞いて、私は神妙になってしまいました。真玉橋の安全は、遠い過去の誰かの犠牲によって保たれているのかもしれない。そんな思いがふと浮かびました。一見無機質に見える橋に魅了されるのは、悠久の歴史の中で人々の暮らしや悲喜交々が垣間見える気がするからかもしれません。

沖縄旅行に行く前にこの伝説を聞いて、私は神妙になってしまいました。真玉橋の安全は、遠い過去の誰かの犠牲によって保たれているのかもしれない。そんな思いがふと浮かびました。一見無機質に見える橋に魅了されるのは、悠久の歴史の中で人々の暮らしや悲喜交々が垣間見える気がするからかもしれません。

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